ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

ある日の手紙

 

「お母さんへ

 

元気にしていますか。happy*d Luckのオーディションに合格してから、二年が経ちました。あいかわらずわたしは左端から二番目で歌っていて、センターの子は性格がキツくてちょっと大変です。どうやったら仲良くなれるのかまだ考えています。半年後にアイドルグループのコンテストに出場することが決まりました。メジャーデビューへの登竜門なのだそうです。今はそのための練習とアルバイトが忙しくて目が回りそうです。お母さんは最近どうですか。

 

聖良」

 

明日ポストに入れよう。返事が来るかどうかは分からない。電話をかけても、メールをしても、わたしがアイドルになると言って無理やり上京してから全然連絡が取れなくなってしまった。実家から持ってきたお母さんとお揃いのマグカップでお茶を飲みながら、毎日お母さんのことを考える。夢を叶えたら、一度帰ろう。いつになるかは分からない。不安が募るばかりだけど、やるしかない。最近よく来てくれる人がいてうれしいことも話したい。でもこれは、家に帰れるまでは秘密にしておこう。机の上に置くファンレターの数が増えて来た。そのうちの一通は、達筆な字で「掛川聖良様」と宛名が書いてある。いつも差出人の名前はどこにも書いていないけれど、この字を見ただけで同じ人だとわかるようになった。この人も握手会に来てくれているのかな。応援してくれてありがとうって言いたいな。いつか、いつか、この人も名前を教えてくれますように。

 

  妖怪三題噺さま http://twitter.com/3dai_yokai
本日のお題は「アイドル」「ゲート」「マグカップ」でした。

「別に、書かなくったって良くない?」―― わたしが原稿やブログを書いている理由について

 題名からしてとても不穏な空気がただよっているのですが――というのは、書いている人にしてみれば永遠に悩み続けることなので――わたし個人のお話をしようと思っております。

 

なぜ書くのか、というのに対しては自分自身に注釈をつけ、理解されたいと欲しているわけではなく、物書きとして売れたいと思っているわけでもなく、格別に書くことが楽しいわけでもなく、単なるわたしのメモです。昨日書いた「メモリがいっぱいです。クラウドに保存しますか?」でクラウドに気づく前にあった頭のなかにあるメモリを減らす手段です。それはツイッターにおいてもそうなのですが、すぐに容量がいっぱいになってしまうので、外に移しているというイメージです。

 

メモなので、原稿やブログを消去しても全く何も思いません。(提出期限のあるものに関してはこの限りではない)自分のなかにさまざまな「案件」を抱えているとポンコツ低スペックゆえ処理しきれずにフリーズしてしまうほうがおそろしいんです。フリーズするともうベッドから起き上がれなくなり、こうやって外へデータを移動させることもできなくなって蓄積していってさらに動けなく…いやはや。

 

ブログや原稿になってわたしから離れていった言葉たちはありがたいことに自分以外の方々に読んでいただけるのですが、それがどう解釈されどう捉えられようともわたしは基本的にはノータッチの姿勢です。「青砥みつ」という脳が持ちうるすべての情報を駆使したとしても、他の人に「自分が 思うような / 知っている 自分」を完全に理解してもらうというのは無理な話だと思うのです。わたしの言葉たちは誰かの中を通過し、あるいは留まって「青砥みつ」という人間が誰かのなかで出来上がっていく。それはわたしとは別のものであっても落胆することはないんです。他者からのイメージと、自分が 思うような / 知っている 自分が違うのは至極当然のことであり、一致することはまずないと考えています。それを頑張って頑張って一致させたとして、そこに何があるというのでしょうか。わたしにはコントロールし得ない部分なんです。想像のなかだけなら好きにやっちゃって~~っていう気持ちでしかないです。「青砥みつ」はわたしから出てきた文章を読んでくれた人の数だけ存在する、というふうに今のところ自分の中で処理されています。

 

と、話がちょっと脱線しましたね。味気ない理由で書いていて面白いものを書こうという気もなくて、しかも「メモ」なのですが、幸いにも興味を持ってくださる方が本当に多くて、君の文章が好きだと言ってくださる方もいて、感謝してもしきれないです。ありがとう。おしまい。

「メモリが一杯です。クラウドに保存しますか?」――頭の容量が足りなくなったとき、どうしたらいいんだろう


 わたしの頭はおそらくニゴロなので――パパが、256MBのUSBメモリのことをこう呼んでいた――たくさんの情報を詰めることができないし、実家にあった初代マッキントッシュくらいのスペックしかないので――これは大好きなパパが愛用していたパソコンだ――すぐに処理落ちしてしまいます。フリーズして強制再起動して…たまに叩いて直して…を繰り返して…パソコンなら新しく買い換えればいいのだけれど、わたしは人間なのでそうもいかない。欠陥品でもムリヤリ動かしていかなければならないし、型落ちでどんなに動きが遅くなろうともアップグレードしていかなくてはならない。そうでないと、昼間のホワイトカラーの世界で生きていくなんてことは到底出来ないと日々感じています。

そこで、クラウドです。初代マッキントッシュクラウドは無理だよ〜〜という機械的な話ではなくて。これはほとんど自分用のメモなのですが、友人や恋人に記憶や気持ちを一部預けてしまおう、という考えを最近手に入れたんです。今までわたしはいろんな人の話をうんうん、って聞いて、そうやって誰かの記憶や気持ちを集めすぎて、自分で使う分の容量を確保できていなくて、そもそも自分が誰かのクラウドをしていたということにも気づいていなくて。だからわたしも周囲に少しだけ甘えて、ほんの少しずつ預けていこうかなって思いました。気付きでした。短い。おしまい。

夢見る少女A

 

週に5回。朝の三時半に起きて、始発の電車に乗り、明るみ始めた空を窓から眺めながらまだ誰もいないお店へ行く。お店のガラス戸は鍵が下の方に付いていて、しゃがんで開ける。玄関マットが朝露に濡れて冷たい。中へ入ると、誰もいないしんとした椅子とテーブルと、カウンター。すべてのものたちが眠っている。

 

私服のままカウンターへ入り、順番に機械たちを起こしていく。オーブンレンジ、コーヒーマシン、それから、エスプレッソマシン、レジ。電源を入れられて、機械音がまずお店の中に充満する。おはよう、と大きなエスプレッソマシンの赤い身体を撫でる。ポコ、ポコ、と圧力を貯め始めて、次第に温まっていく様子は呼吸をしているみたいだ。彼の準備が整うまでに、昨日の夜運ばれた食材や、コーヒー豆や、牛乳をしまう。カフェでの仕事は優雅みたいなイメージを持っている人がとても多いのだけれど、結構重労働だ。牛乳ケースには一リットルのパックが9本くらい入っていて、とてつなく重い。やっとのことでカウンター下の冷蔵庫に運び入れ、賞味期限ごとに並べ換える。日付が早いものを前へ。

昨日誰かが捨て忘れた賞味期限切れのココアを見つけた。これを毎日飲めたら、と最初は思ったけれど、きっとシフトに入るごとに飲んでいたら大好きなココアも飽きてしまって、おまけに太ってしまうだろうと危惧してからはすっかり興味を失ってしまった。残っているということは多分、期限切れ商品として計上していないのだろう。量をはかって、メモを取って、流しに捨てた。

 

エスプレッソマシンが準備運動を終えたようだ。ボタンを押して、お湯を出して一晩分の埃を洗い出す。そして、グラインダーの電源を入れ、コーヒー豆を挽いてポルタに詰めた。ハンドルがあって、先に直径5センチくらいの器がついていて、いつもちいさい鍋みたいだなと思う。でも、その器にはザルのように穴が開いていて、ちゃんとエスプレッソを抽出できるようになっているから、鍋じゃないな、とも。赤い身体に嵌めるとガチャンと鈍い音。ボタンを押して、抽出を待つ。キャラメル色のうつくしい液体がポルタから押し出されてマグカップの底に溜まっていく。圧力を確認、表示された数値を確認して基準値どおりのエスプレッソが作れていることに満足する。

 

スチーマーをシュッとひとふかしして、長い管のなかから水滴を追い出す。銀色のミルクピッチャーに牛乳をいれて、スチーマーの先を表面に当てる。ハンドルをひねるとチリチリと音を立てて泡を立てる。最初の3秒間が肝心で、あとは完全に牛乳の中へ入れ、温める。キーンという音がだんだん低くなってくると温まった合図、カフェラテは熱すぎても、冷たすぎてもおいしくないのだ。

 

ミルクピッチャーからスチーマーを出して、ダスターで軽く拭く。そして、ピッチャーの底をトントンとカウンターを叩いて、大きな泡を潰す。ここからが本番。左手に持ったエスプレッソ入りのマグカップを傾けて、細く、そっとミルクを注ぎ込む。ミルクにさざ波を立て、ピッチャーを左右に振ると、フワリと浮かび上がる白い筋。マグカップの半分まで水面が上がってきたら、そそぐ右手をスッと高く上げ、また細く、そして今度はまっすぐ立てに切るようにそそぐ。

 

浮かび上がったのは、一枚の白い羽。すぐに味見をする。泡は多すぎず少なすぎず。ぬるくもなく、熱くもなく。甘みも出て、砂糖も要らない。アートだけでなくおいしく作れるようになったことを実感して、思わずにっこりした。

 

その時、ガラス戸が開く音と「おはようございまーす」と気の抜けた声が聞こえた。

 

「青砥さん、もう作っちゃったんですか、テイスティング。僕にも飲ませてくださいよ」

 

わたしはニコニコしたまま言った。

 

「いいよ、その代わり、サンドイッチ用のトマト、仕込んでね」

 

青砥さん本当にトマト嫌いなんですね、食パンくらいは出しておいてくださいよ、と後輩は笑いながらバックヤードにトマトとスライサーを取りに行った。

 

わたしは少女A、夢は、バリスタです。

 

 

 妖怪三題噺さま http://twitter.com/3dai_yokai

本日のお題は「カフェイン」「A」「トマト」でした。

 

questioned by lalalagi 後半

ケルクショーズ・イリヤ「日常100の質問(questioned by lalalagi)」(らららぎさん)

http://chatte.hatenablog.jp/entry/2016/12/04/053251

 

後半戦!レディーファイッ!

 

51:ふだんよく聴く楽曲をクラブで改めて聴くと、特段「いいなあ」と思えるのはなぜでしょうか。

残念ながらクラブに行ったことがないです…

 

52:(音は単なる波なのに)「音楽を聴く」という行為が特別に感じられるのはなぜでしょうか。

その音の波が心地よい、またはその波に乗って流れる言葉が心地よいのかもしれません。

 

53:音楽がひとを殺すことはありますか。

こころは死んだりします…身体は大きな音でびっくりして死ぬかもしれません。

 

54:ひとが音楽を殺すことはありますか。

忘れ去られてしまったら死ぬと思います。

 

55:なにもかもが一度切りだと主張するロック音楽を「再生」することは善いことですか。

「何もかもが一度切り」というメッセージを伝えるために存在しているのであれば、よいことだと思います。

 

56:音楽によって想起された思い出は、いまここにあるものですか、それとも過去のものですか。

過去のものが、いまここに存在しているという状態だと思います(語彙不足)

 

57:聴かなかったことにしたい音楽はありますか。

ないです。が、曲に嫌な思い出がついてしまうと聴かなくなります。

 

58:おなじ音楽を知っている(共有している)ひと同士を、うらやましく思うことはありますか。

他の人と音楽を共有している側なので、うらやましくないです。

 

59:国歌を知らないひとがいたら、教えてあげるべきでしょうか。

教えなくても、そのうち知るかもしれませんので必要ないと思います。

 

60:どうして働かなければならないのでしょうか。

人間が大きな群として生活していくために、たくさんのものを提供し、消費しているその流れを止めないように働かなければならないと思います。

 

61:あるひとを理解するうえで、そのひとがどんな仕事をしているか知るべきでしょうか。

ケースバイケースですが、ほとんどないと思います。(たまに知る必要がある)

 

62:職業の貴賎を決めることはできますか。

貴賤はないと信じたいですが、貴賤が存在してしまっている以上決められるのではないでしょうか。

 

63:どうして「医者」「弁護士」「先生」は差別(優遇)されているのですか。

いずれの職業もなるのが難しくかつ大きなリスクを抱えているからだと思います。

 

64:仕事をしているときのじぶんは、別のじぶんでしょうか。

わたしの場合は、別の自分です。オンとオフを使い分けています。

 

65:はぐれものが社会化すること(socializing)は善いことでしょうか。

はぐれものが社会化して自分にとって心地いい、利便性があるなどと思えたならよいことだと思います。

 

66:教育が社会化することは善いことでしょうか。

しゃかいか【社会化】③ 生産労働や育児などが、私的・個別的なものから共同・集団的なものになること。 (大辞林 第三版より)という意味で考えますね。いいことだと思います。情報などいろいろなものが氾濫しそうな気がしますが、取捨選択することをより身につけることができそうです。

 

67:家庭が社会化することは善いことでしょうか。

核家族が増える前は、わりと社会化された家庭だったようですね。価値観が凝り固まることを予防できそうなので、よいと思います。 68:そもそも「社会」というのは、なんのことでしょうか。

人間の群れのなかに存在するルールみたいなものかもしれません。

 

69:「社会人として」という主語(主格の複合助辞)を使って話すひとをどう思いますか。

あまりに多用する人に対しては、社会人といってもそれはあなたのなかで持ちうる社会人であって、他の人にとってどうかはわからないよ~~となります。(文法教えてください)

 

70:祖父母や、両親や、兄弟と、あと何回会うことができるでしょうか。

かなり少ないと思います。少ないからこそ大切にしなければと思います。

 

71:親の人生をどこまで知りたいと思いますか。

知らなくてもいいです。知りたいと思っていた時期もありましたが、別の人間ですし、分からないことがあってもいいと思ってからはどうでもよくなりました。

 

72:先祖をどこまで辿ることができますか。

たどったことはないのですが、おそらく家系図があると思います。青砥家はどうも武士の末裔らしいので。

 

73:墓参りをすることで、先祖を解放できるでしょうか。

先祖の魂がお墓に囚われているという風に質問を捉えているのですが、そもそも囚われていないと思うので(お墓は死後の世界と現世をつなぐ公衆電話みたいなイメージ)解放はされないと思います。

 

74:「親戚」という単位は、なににおいて役に立ちますか。

自分と似た顔の人や血を分けたひとに会うことができることにおいては役に立ちそうです。 75:結婚はこれから先の未来にも必要な制度でしょうか。

あってもいいし、なくてもいい気がします。

 

76:お見合い結婚は、なぜ廃れたのでしょうか。

やっぱり好きな人と結ばれたいと望んだ人たちがいたからではないでしょうか。

 

77:お見合いをしていた当時のひとたちは、お見合いがなんであるかを理解していたのでしょうか。

おそらく、いいえ、結婚ってこういうものだから、と思っていたと思います。

 

78:お見合い結婚したひとと、のちに(改めて)恋愛することはできますか。

できると思いますが、ごく少数だと思います・・・

 

79:そもそも結婚するための「条件」(condition)というのはなんでしょうか。

わたしの両親を通した目もあると思いますが、きちんと働いていること、常に悲観的でないこと、心身ともに健康であること、一般的なものの考え方も出来る(奇抜な考えを持っていてはいけないとは言ってない)といったところだと思います。

 

80:老いは、十代や二十代には経験できないものでしょうか。

出来ます。身体は成長途中であっても、こころは簡単に老いると思います。

 

81:老いは不都合でしょうか。

不都合だとは思いますが、避けることはできません。

 

82:そもそも「老い」というのはなんのことでしょうか。

死へ近づいているしるし。

 

83:「成長」や「成熟」を決めているのはだれであり、それらはなんのことでしょうか。

平たく言えばお医者様です。成長は育ち切って体として完成すること、成熟は精神のことかな?(ただし完成はしない)と思います。

 

84:「大人になる」ということはなんのことでしょうか。

様々なことを知ること

 

85:人生において幸/不幸はどうして問題になるのでしょうか。

生まれてから最初に持つ感情は、快/不快というのをどこかで習った気がします。気持ちいい状態でいたいからだと思います。

 

86:人生において要らなかった不幸はありますか。

ありますが、取り消すことはできないので取り出してきて悩みたくはないです。

 

87:「幸せな恋愛」「幸せな暮らし」「幸せな結婚」など、どうして他人が決めた「幸せ」を求めたがるのでしょうか。

考えずに幸せ(気持ちいいこと)を手に入れたいからなのでは、と思っています(自戒も含めつつ)

 

88:あなたはだれかを幸せにすることができますか。

わたしが関わっただれかが幸せだと思ったのなら、できたということになるんじゃないでしょうか。

 

89:幸せになるための努力は必要でしょうか。

幸せになりたいと願うのであれば、なにかしらの努力は必要です。

 

90:死ぬことは怖いですか。

怖くないです。ただ、まだ生きていたいです。

 

91:死んでも残るものはありますか。

人の記憶に残り、生活をしていた跡が残り、なきがらも残りますが、時とともにいずれ消えます。

 

92:産まれたときのことを覚えていないのに、どうして死ぬことを確信できるのでしょうか。

死は見ることができるから。(生を受けるときは他の事例を見ることができない)

 

93:死ぬことを考えることは宗教ですか。

違うと思いますが、宗教ととても深く繋がっていることは否めません。

 

94:じぶんが死んだことを知ってほしいひとと、知らないでほしいひとはいますか。

どちらでもいいです。死んだら、生きているものの世界のことは生きているものに任せます。

 

95:人生に思い出がなかったらつまらないですか。

思い出して楽しめるものがないのは、ちょっとつまらないですね。

 

96:人生に色がなかったらつまらないですか。

色が最初からない人生なら、つまらないかどうかは問題にならないと思います。

 

97:恥のない人生を目指すのは正しいことですか。

恥くらいかきましょう。恥をかけば自分も他人も許せる気がします。

 

98:そもそも「正しい」というのはだれが決めることで、どういうことでしょうか。

全員です。大きな枠のなかで正しいこと、自分のなかで正しいこと、それぞれが気持ちいいように、納得のいくようにする為の手札かな…

 

99:死ぬことは正しいことでしょうか。

正しいかなあ。自然の摂理としては正しいかなあ。

 

100:答えること自体が不都合である問いを答えさせることは、悪でしょうか。(お・わ・り)

まあ…いいんじゃないかしら!ありがとうございました!

 

 

満ち足りた味

 

ジャックは塗装屋の見習いでした。まだペンキを触らせてもらうことはできません。余計なところに色がつかないようにマスキングテープを貼って、貼って、貼るだけで一日が過ぎていく毎日です。ペンキを使っていなくても、彼の黒い肌はピンクや緑や白で汚れ、まるで黒板になったような気持ちでした。

「おいぼうず、早くしろ」

それが大人たちが唯一ジャックに話す言葉で、怒りながらたいそう面倒な様子で、ジャックが貼ったマスキングテープごと、あらゆるものにペンキを塗っているのでした。今日は、ベンチ。今日も貼るだけ貼って、地べたに座り込みぼんやりしていました。カラリと晴れた真っ青な空と、冷たい風と、これからクリーム色になる古い木のベンチ。塗装屋の向かいには教会がありました。賛美歌が流れています。

「ああ、きっと、なかに入れば暖かいんだろうなあ」

古びたジャケットは袖が短くて、手首まで冷えてしまいます。これっきりしかないだぼだぼのジーンズも膝に穴が開いて、風通しがいいこと、いいこと。それでも毎年ジャックにはサンタが来ないことを知っていたので今年もなにもお願いしませんでした。

 

「やあ、ジャック」

丸い眼鏡をかけた、ひょろひょろのタカフミがコーヒーを片手に二つ持ってやってきました。脇には本を抱え、もう一方の手には紙袋を持っています。タカフミは遠くの国から勉強のためにやってきていて、お昼過ぎにはいつもこの汚れたガレージにやって来ました。

「あいかわらず、かい」

「そうさ、まだペンキは触らせてもらえないんだ。ありがとう」

 

 コーヒーを受け取ると、タカフミはコーヒーと本を地面に置き、紙袋をジャックに差し出しました。

 

「これ、貰ってくれないか」

「なんだいそれ」

 

覗き込むと、白いクリームがきれいに塗られた、ケーキがひとつ。いちごが上に乗っています。ジャックが知っているバターケーキとは全く違う姿でしたが、とてもおいそうでした。

「タカフミ、これはなんていうケーキだい?」

「ショートケーキだよ。日本ではこれをクリスマスにみんなで食べるんだ」

「へんなの、ショートケーキ、なにか足りない(short)みたいだ。それに今日はクリスマスじゃない」

 

 タカフミは大きな前歯を見せてクスクスと笑いました。

「足らないことないさ、むしろ満ち足りる味だよ。それに、当日じゃなくたって一足先にクリスマスを楽しめばいいじゃないか」

 

背後から仕事に戻れと怒号が聞こえ、ジャックはタカフミにもう一度ありがとうと言ってから、立ち上がりました。手に持った紙袋の中身がつぶれないように気をつけながら、満ち足りた味がどんな味か、想像しながら。

 

 

 

明日天気になあれ

 

それは、ざんざん降りの雨続きの月のことでした。そうっと、ゆうまくんは教室の窓の外を覗きました。広い校庭の向こうの方には高い錆びた柵があって、その向こうには小川が流れていて、その奥には暗い、暗い、「踏まずの森」がありました。そこには誰も入ってはいけないと先生たちが口を酸っぱくして言ったものですから、もちろん、ゆうまくんも、ゆうまくんのお友だちも、ちゃあんとその教えを守っていました。もうそろそろお家に帰れる時間です。帰りの会が終わって、下駄箱からお靴を出した時、佐藤先生がたくさんのプリントを持って通りかかりました。ゆうまくんは、ちょっとそわそわしながら先生の近くへ行って話しかけました。

「ね、せんせ、」

「あら、ゆうまくん、どうしたの」

「あめ、やむかなあ」

ゆうまくんがあまりに不安そうな顔をしていたので、先生はニコッと笑いました。こういう時、ニコッとするのが先生の中では一番良い方法だったのです。

「止むといいねえ。明日の運動会、晴れるといいね、お天道様にお願いしましょ」

「うん。せんせ、さようなら」

「はい、さようなら、また明日」

先生はプリントの束をよっこいしょと抱き直して、職員室の方へ行ってしまいましたので、ゆうまくんは仕方なく上履きをしまって、お靴を履いて、黄色い雨傘をさしました。

 

踏まずの森の小川には、河童が住んでいました。ちいさい河童は去年、運動会を柵の外側から見てとても楽しそうだったので、あの黄色い傘をさした男の子がお天気を気にしていたのがよく分かっていました。

「ねえ、おっかさん。ウンドウカイはできるのかな?」

「人間の遊びなんかどうでもいいでしょう、さあ、もう寝ぐらにお行き」

ちいさい河童は少し嫌な顔をしましたが、おっかさんは怒ると怖いのでいそいそと寝ぐらへ行きましたが、どうにも眠れません。

「ああ、ウンドウカイの日に雨が降らないように、人間の子どもと同じおまじないをしなくちゃ」

そろりと寝ぐらを抜け出して、ちいさい河童は川の水を少し浴びて、身体が湿ったところで人間の子どもに化けました。まだ明るいし、きっと、センセイもぼくのことをあやしまないだろう。

 

柵の下には隙間がありましたので、そこへ身体をむりやり押し込んで、ちいさい河童は広い校庭に出ました。そして小学校の入り口へ行って、そっと靴を脱いであがりました。すぐ近くのお部屋に、白いお洋服の、優しそうな女のセンセイがいます。ちいさい河童は、ここにいる大人の人間がみんな「センセイ」と呼ばれているのをちゃあんと覚えていました。

「ねえ、センセイ」

「わっ、ごめんなさいね。びっくりしちゃった。どうしたの?どろだらけじゃない」

「ちりがみ。ね。ちりがみを、少し分けてください」

ちいさい河童はすこしあせってしまって、早口になりました。センセイはびっくりしているようでしたが、ポケットからティッシュを出して、渡してくれました。その時、先生はこの男の子の手に、何かキラッと光るガラスのようなものが何枚か見えたので心配になりました。

「どうぞ、怪我はしてない?消毒する?」

「あ、ありがとう、だいじょうぶ!」

ちいさい河童はティッシュを貰うと、タッと走ってお部屋を出て、校舎を出て、また柵の隙間によいしょと身体を押し込んで寝ぐらへ戻りました。そして、てるてるぼうずを作って、校庭の柵の、雨の当たらないところへ三つぶらさげました。

「これで、きっと、ウンドウカイは、だいじょうぶ」

ちいさい河童は、やっとぐっすりと眠ることができたのでした。

 

次の日の朝、とってもよく晴れたのでゆうまくんはとてもよろこんで、お母さんの作ったお弁当を持って学校へ急ぎました。今日は運動会ですから、登校も体操着です。学校へ着くと、佐藤先生が校庭に白線を引いていました。

 

「せんせ、おはようございます、はれたね、うれしいな」

「ゆうまくん、おはよう。ねえ、あれは、ゆうまくんが作ったのかな?」

 

先生が指差した踏まずの森の柵には、てるてるぼうずが三つぶら下がっていました。

「ううん、ちがうよ。きのう、ぼくはまっすぐおうちにかえったから」

「そうなのね。じゃあ、誰が作ってくれたのかしら。きっとてるてるぼうずが晴らしてくれたのね」

先生はとても怪訝そうな顔をして、踏まずの森の方向をみましたが、いつもとおなじように、暗い暗い森が広がっていて、その前に小川がサラサラと流れているだけでした。