ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

夢見る少女A

 

週に5回。朝の三時半に起きて、始発の電車に乗り、明るみ始めた空を窓から眺めながらまだ誰もいないお店へ行く。お店のガラス戸は鍵が下の方に付いていて、しゃがんで開ける。玄関マットが朝露に濡れて冷たい。中へ入ると、誰もいないしんとした椅子とテーブルと、カウンター。すべてのものたちが眠っている。

 

私服のままカウンターへ入り、順番に機械たちを起こしていく。オーブンレンジ、コーヒーマシン、それから、エスプレッソマシン、レジ。電源を入れられて、機械音がまずお店の中に充満する。おはよう、と大きなエスプレッソマシンの赤い身体を撫でる。ポコ、ポコ、と圧力を貯め始めて、次第に温まっていく様子は呼吸をしているみたいだ。彼の準備が整うまでに、昨日の夜運ばれた食材や、コーヒー豆や、牛乳をしまう。カフェでの仕事は優雅みたいなイメージを持っている人がとても多いのだけれど、結構重労働だ。牛乳ケースには一リットルのパックが9本くらい入っていて、とてつなく重い。やっとのことでカウンター下の冷蔵庫に運び入れ、賞味期限ごとに並べ換える。日付が早いものを前へ。

昨日誰かが捨て忘れた賞味期限切れのココアを見つけた。これを毎日飲めたら、と最初は思ったけれど、きっとシフトに入るごとに飲んでいたら大好きなココアも飽きてしまって、おまけに太ってしまうだろうと危惧してからはすっかり興味を失ってしまった。残っているということは多分、期限切れ商品として計上していないのだろう。量をはかって、メモを取って、流しに捨てた。

 

エスプレッソマシンが準備運動を終えたようだ。ボタンを押して、お湯を出して一晩分の埃を洗い出す。そして、グラインダーの電源を入れ、コーヒー豆を挽いてポルタに詰めた。ハンドルがあって、先に直径5センチくらいの器がついていて、いつもちいさい鍋みたいだなと思う。でも、その器にはザルのように穴が開いていて、ちゃんとエスプレッソを抽出できるようになっているから、鍋じゃないな、とも。赤い身体に嵌めるとガチャンと鈍い音。ボタンを押して、抽出を待つ。キャラメル色のうつくしい液体がポルタから押し出されてマグカップの底に溜まっていく。圧力を確認、表示された数値を確認して基準値どおりのエスプレッソが作れていることに満足する。

 

スチーマーをシュッとひとふかしして、長い管のなかから水滴を追い出す。銀色のミルクピッチャーに牛乳をいれて、スチーマーの先を表面に当てる。ハンドルをひねるとチリチリと音を立てて泡を立てる。最初の3秒間が肝心で、あとは完全に牛乳の中へ入れ、温める。キーンという音がだんだん低くなってくると温まった合図、カフェラテは熱すぎても、冷たすぎてもおいしくないのだ。

 

ミルクピッチャーからスチーマーを出して、ダスターで軽く拭く。そして、ピッチャーの底をトントンとカウンターを叩いて、大きな泡を潰す。ここからが本番。左手に持ったエスプレッソ入りのマグカップを傾けて、細く、そっとミルクを注ぎ込む。ミルクにさざ波を立て、ピッチャーを左右に振ると、フワリと浮かび上がる白い筋。マグカップの半分まで水面が上がってきたら、そそぐ右手をスッと高く上げ、また細く、そして今度はまっすぐ立てに切るようにそそぐ。

 

浮かび上がったのは、一枚の白い羽。すぐに味見をする。泡は多すぎず少なすぎず。ぬるくもなく、熱くもなく。甘みも出て、砂糖も要らない。アートだけでなくおいしく作れるようになったことを実感して、思わずにっこりした。

 

その時、ガラス戸が開く音と「おはようございまーす」と気の抜けた声が聞こえた。

 

「青砥さん、もう作っちゃったんですか、テイスティング。僕にも飲ませてくださいよ」

 

わたしはニコニコしたまま言った。

 

「いいよ、その代わり、サンドイッチ用のトマト、仕込んでね」

 

青砥さん本当にトマト嫌いなんですね、食パンくらいは出しておいてくださいよ、と後輩は笑いながらバックヤードにトマトとスライサーを取りに行った。

 

わたしは少女A、夢は、バリスタです。

 

 

 妖怪三題噺さま http://twitter.com/3dai_yokai

本日のお題は「カフェイン」「A」「トマト」でした。