ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

誰だって甘い蜜を舐めたいに決まっている

 

「舐められる」ということについて、一晩考えてみた。思っても言わないことが良いという教育を受けて、さらにルールはルール、その意味を考えてはいけない。ただやるのみ。という正体不明の体育会系メッセージ(体育会系はなにも悪くないけど、わたしは「夕日に向かって走れ」みたいなのは言われたら不貞寝しないと機嫌が直らないくらい大嫌い)を両親から受けたとき、ものすごく長いあいだ反発して抵抗したけれどあまりの長期戦に体力が消耗していって動けなくなって、それ以外に道はないと思い込んだ。大人は強かった。不快なことがあっても、それは違うと思っても、それをわたしが訴えることはできない、もし訴えてしまったらひとは離れていく、衝突を避けることが一番の方法だと信じるようになった。

あのときから教えを律儀に守り続けた結果、いいように使われ、扱いやすいひとだと思われ、このくらい大丈夫だろうと高をくくられ、周りのひとはどんどんわたしの上に立つようになった。幸いにも、ボロ布同然だったわたしを別の見方で手助けしてくれたひとたちがいて、死なずに済んだ。幸運にも程がある。

両親はそれでもあの教えをまだ有効だと思っているから(他人がだまされるより、自分がだまされたほうがマシ、といった自己犠牲のかたまりのような考えかたをしている)、それを聞く機会を減らすことで自分のなかで強化されないように細心の注意を払っていかなければならない。

 

ラカンをなんども持ち出してきててそろそろうざったいと思うけど、象徴界にいながら、言葉で伝えようとすることを諦めつづけた結果がこれなんだと思う。ここにいるということは、言葉を使って他者に訴えていくことが求められているのに、しなかった。

 

言葉は基本的に無力だとわたしは思う。「さくらきれいだね。淡い色だね、ほのかな甘い香りがするね」っておなじさくらを見ながら相手に言ったって、相手が見ているさくらの色や香りはまた少し違っているかもしれなくて(これを確かめる術すらないんだけど)、自分の感想を伝えたところで、見えかたや感じかたが違えば分かち合うことなんて少しもできない。通じ合う、なんていうのは幻想なんだ。大きくなってお母さんと自分の区別がつくようになったら死ぬまで孤独で、共有なんて不可能なんだ。見ている景色、経験してきたこと、住んでいた場所、食べたもの、受けてきた教育、触れてきたひと、就いた仕事、身につけた知識、訪れた国、使ってきた物、時間の感覚、接してきたひと、話してきた言葉、色の数、温度、痛み――わたしが生きている世界と、あなたが生きている世界はおそらく、決定的に違う。だから、少しでも互いに寄り添うために、認識を擦り合わせるために、言葉を使うのかもしれない。

舐められているという現状は、ひとを遠くに置いて「自分の言ったことで相手が不快な思いをするだろう」という想像の産物を免罪符にして怠ってきたわたしへの、罰なんだ。