ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

ゆめ、ある/ゆめ、ない/広がるゆめ/広がらないゆめ/ゆめなのか?/ゆめじゃないのか?/起きているのか/寝ているのか/ゆめは甘いのか/しょっぱいのか/おおきいのか/ちいさいのか/とにもかくにも、これをぼくはポケットにしまった。

 

ちいさい頃はお花屋さんになりたかった。高校生のときは、フルーティストになりたかった。音大受験のチャンスを得ることができず失意のうちに大学生になり(あまりにボロボロだったのでどうして大学に入学できたのか不思議でならない)、半年後カフェでアルバイトを始めたときは、バリスタになりたかった。バリスタになるのはいまでも強く残っていて、カフェを訪れるたびあの、エスプレッソのショットを落とす音、スチームをふかす音、ミルクを温める音――心地いい音に溢れたあの場所でラテアートをかけたらどんなに心豊かに過ごせるかといつも思い描いてしまう。

実は、24歳になって(正確には昨年の夏からいまにかけて、そして数日前に誕生日を迎えたのでいまは25歳)、わたしのなかで無視できないほど膨らんだ夢があって、やっとそれに向けてどう歩いたらいいか分からない道を歩き始めた。翻訳者になりたい。だいすきな父の転勤が決まったときから、それはずっと可能性として、わたしの手札として存在していたけれど、たくさんの回り道をしてようやくそのカードを選ぶことに決めた。

回り道。転勤についていき、帰国してからは「君にはアドバンテージがあるから恵まれてていいね」みたいなことを言われ続け散々妬まれ嫉まれ人は離れていくし友達も出来ないし英語の先生からは特別扱いされるしもう最悪だったけれど(それで英語が嫌いになって、でも両親からは英語だけはやりなさいと押し付けられ、成績も英語だけが飛びぬけているだけであとは(数学以外)ぼちぼちの子(学校は休みがち)だったので高校も大学も英語に特化したところに行かざるを得なくて地獄でした)、正直、わたしよりずっと英語できるひとはわんさかいて、上には上がいて、それでもひとまずは、「いまの夢」として翻訳に挑戦してみたい。ものすごく過酷な道のりだし、勝負事が苦手(今年の目標は勝負すること、すごく悪い言い方をすれば他人を蹴落とすことに慣れること。序列から逃れることのできない世界にいるのに「人を蹴落とすくらいなら辞退する」という謎の自分ルールをそろそろ変えなければならない気がしている)だし、不安は拭えないけれど。

一昨日くらいにちょっとへこんでたんですけど、去年の7月頃に比べたらとても元気なんですよね。あのときは実家から逃げるように今の部屋へ引っ越してまだ2ヵ月で、勤め先で所属している部署がいろいろと酷くて全く眠れなくなり体調を崩しまくっていて、ひとりで過ごしたいのに「ひとりで過ごす」ことに慣れるのが大変で(6月末に破局した)、諦めと虚無感と現実が酷くて夢とかやりたいこととか楽しいことなんてとてもじゃないけど考えられなかった。あのときの、「お茶会」と「小説を書きませんか」というのはものすごく重要な転機だったんだと思う。なにはともあれ、元気になりました。どうやら「ゆめ」らしきものを持ったようです。