ばあばの畳部屋
年末は大掃除。じいじが障子を張り替えているせいで、和室はガラス張りの温室みたい。冬の高い空がよく見える。ばあばが歯ブラシ二本と塩の入った大ぶりの瓶を持ってきた。わたしは畳に寝っ転がったまま、読みかけの本を逆さに置いた。
「ばあば、塩なんか持ってきちゃって何すんの?」
ばあばは幸せそうに笑い皺を深くして、膝を折り曲げて座り、左横に塩の瓶を置いた。
「畳のほこりを取るんだよ、綾ちゃん」
「塩でーえ?」
「そうよ。まあ見てなさい」
ばあばが畳の縁に近いところに塩をそっと振りかけて歯ブラシで井草をなぞるように掃くと、ほんとうだ、ほこりが集まって取れていく。ばあばは、なんでも知っている。わたしがこういうのをすぐやりたがることもお見通しだ。
「すごいねえ、綾もやる」
「畳の編み目に沿ってサッサッてするのよ」
「うん」
縁は濃紺のすこしキラッとした布に覆われていて、とてもきれいで、畳部屋の一番好きなところ。きれいな布を傷付けないように慎重に歯ブラシをかけていく。ばあばは、じいじがこの間煙草の火を落として焦げたところを端切れにオキシドールを染み込ませて叩いている。
「綾ちゃん、お勝手の流しの下に蝋燭があるから取ってきておくれ」
「うん!他には何かいる?」
「綾、じいじの煙草持ってきてくれ、火も一緒にな」
「おじいさん、綾に危ないものを持たせちゃダメですよ」
「綾もう11歳だから大丈夫!」
わたしは畳部屋を飛び出してキッチンへ向かった。じいじとばあばの家は改装した頃、とても「ハイカラ」な家だったのだそう。でも、わたしは「ハイカラ」の意味を知らない。キッチンの壁はクリーム色とさくら色のタイルで埋め尽くされている。流しの下を開けるとチュウ、とネズミがひと鳴きして顔を出した。青いろうそくの箱を掴んでサッと扉を閉める。コンロの横に置かれたじいじのホープと百円ライターを反対の手に持って急いで戻った。
「はいどうぞ」
「ありがとうねえ」
「はいどうぞ」
「助かるなあ」
「おじいさん、もう畳は焦がさないでくださいね」
「ハイハイ」
ばあばは使いかけのろうそくを色の薄くなった焦げ跡に少し塗った。「こうするとね、ささくれで怪我をしないんだよ」そう言って、ゆっくりと部屋を出ていった。きっとお茶の用意だ。今日はおしんこじゃなくて、昨日買ったカステラがいいな。
じいじが貼りかけの障子を壁に立てかけた。ガラス戸を開けて、縁側によっこしょと腰を下ろして煙草に火をつける。
「これで畳は焦げん。昔はあっちこっち焦げてたから、このくらいは大したことなかろうが」
「あっちこっち?」
「そうだよ、戦争はなんでも焦がしちまう」
「人間も?」
「そうさ、真っ黒焦げさ。空からすごい数の拳銃の弾が降ってくるんだ、バリバリバリッて音立ててな。火の玉みたいなもんも落ちてきた。サイレンが鳴ったら頭巾をかぶって、穴ぐらにみんなで潜り込んでやりすごんだ。綾も持ってるだろ、防災頭巾」
「うん。銀色のやつね。いつもは座布団にしてるけど」
「ずっと座布団のままでいいんだ、あんなもんは」
じいじは庭のさるすべりの木に目を向けて、しばらく黙り込んだ。何かを思い出しているみたいだけど、わたしにはとうとう分からなかった。
「お茶ですよ」
ばあばの声にクルッと振り向くと、お盆の上にはカステラがあって思わずにんまりした。
「ばあばはなんでも知ってるね、綾がカステラ食べたいっていうのも」
「綾ちゃんのことはなんでも分かるのよ。おあがりなさい」
「いただきます、おいしそう」
カステラの底にはたっぷりざらめが付いていて、口に入れるとふわふわとざりざりが両方聞こえてきた。じいじは煙草を深く吸って、あごをあげて空に向かって煙を吐いた。そして厳しい顔をしたまま下を向いた。きっと、もっと大きくなったら戦争の話をしてくれるんだろう。わたしは甘いカステラとちょっと苦いお茶を順番こに口に入れながら、ばあばとおはじきをする約束をした。もちろんお掃除が終わってから。
妖怪三題噺さま http://twitter.com/3dai_yokai
本日のお題は「機関銃」「塩」「蝋燭」でした。