ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

穏やかな落下

 

青々とした草原がどこまでも続いていて、山も川も街も家も見えなかった。極彩色のワンピースが膝のあたりを撫でる。どの方向に歩いていけばいいのかどこへ歩いていくのかすら分からない。風がそよいで長い髪がなびく。途方に暮れているのに気持ちはすっきりしていて、ただ、吹かれるままに風を受けていた。その場に座り、目を閉じる。土と草の匂い。まぶたの内側で赤黒い空を見た、赤黒いーー

 

気づいた時にはもう起き上がっていた。赤黒い空や草原や気持ちのいい風や土と草の匂いはすっかり消えた。いつものデイベッド、毛布、5.5畳のワンルーム、昨日シンクに置いたままの食器、たたまれずに沈黙する洗濯物が瞬時に襲う。馬頭琴の悲しげな音色がスマートフォンから流れている。聴きながらそのまま寝てしまったようだった。

 

窓から差し込む冬の冷たい光が淀んだ部屋の空気を照らし、埃がキラキラしていた。手近にあった白いワンピースに着替えて、そのままサンダルを履いた。歩き始めてから家の鍵をかけなかったことを思い出す。いいや。坂をのぼり、くだり、またのぼって曲がりくねった道を歩いて行くと高台に公園がある。赤いブランコに腰掛けると、少し離れたところで鳩が一気に飛び立った。そのあとには猫が悔しそうに寝そべっている。ゆらゆら、揺れるブランコ。足を前へ蹴り出す、大きく振れる振り子。空に近づき、離れ、目がぼやける。視界の片隅でイチョウの木が黄色い葉を落としていた。

 

ザリザリッと靴底と砂利が擦れて振り子を止める。公園の奥は崖になっていて、下には暗い森が広がっている。小学生のとき、担任の先生が「踏まずの森」と呼んでいてみんなを怖がらせていたな。歩いていき、錆びついた手摺を掴む。通っていた小学校が遠くちいさく見える。もちろん、森と校庭の境目の、高い柵も。

 

サンダルを脱いで裸足になる。細かな砂がまとわりついてすぐに汚れてしまった。様々なことを思い出す。昨日友だちと飲みに行ったこと、小説を書いたこと、仕事を辞めようか迷うこと、大好きなひとのこと、君の…くしゃっとした笑顔と、わたしの名前を呼ぶ声と……

 

手摺から身を乗り出した。風に包まれ、そのまま、逆さに。目は空の色しか映さなかった。鈍い音。身体中に固い地面を感じた。ワンピースが赤い。

 

生きたかった。

 

 

そう思った。目が閉じていく。

赤黒い空が滲んで消えた。

 

 

  妖怪三題噺さま http://twitter.com/3dai_yokai
本日のお題は「鳩」「逆さま」「アジア」でした。