ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

「別に、書かなくったって良くない?」―― わたしが原稿やブログを書いている理由について

 題名からしてとても不穏な空気がただよっているのですが――というのは、書いている人にしてみれば永遠に悩み続けることなので――わたし個人のお話をしようと思っております。

 

なぜ書くのか、というのに対しては自分自身に注釈をつけ、理解されたいと欲しているわけではなく、物書きとして売れたいと思っているわけでもなく、格別に書くことが楽しいわけでもなく、単なるわたしのメモです。昨日書いた「メモリがいっぱいです。クラウドに保存しますか?」でクラウドに気づく前にあった頭のなかにあるメモリを減らす手段です。それはツイッターにおいてもそうなのですが、すぐに容量がいっぱいになってしまうので、外に移しているというイメージです。

 

メモなので、原稿やブログを消去しても全く何も思いません。(提出期限のあるものに関してはこの限りではない)自分のなかにさまざまな「案件」を抱えているとポンコツ低スペックゆえ処理しきれずにフリーズしてしまうほうがおそろしいんです。フリーズするともうベッドから起き上がれなくなり、こうやって外へデータを移動させることもできなくなって蓄積していってさらに動けなく…いやはや。

 

ブログや原稿になってわたしから離れていった言葉たちはありがたいことに自分以外の方々に読んでいただけるのですが、それがどう解釈されどう捉えられようともわたしは基本的にはノータッチの姿勢です。「青砥みつ」という脳が持ちうるすべての情報を駆使したとしても、他の人に「自分が 思うような / 知っている 自分」を完全に理解してもらうというのは無理な話だと思うのです。わたしの言葉たちは誰かの中を通過し、あるいは留まって「青砥みつ」という人間が誰かのなかで出来上がっていく。それはわたしとは別のものであっても落胆することはないんです。他者からのイメージと、自分が 思うような / 知っている 自分が違うのは至極当然のことであり、一致することはまずないと考えています。それを頑張って頑張って一致させたとして、そこに何があるというのでしょうか。わたしにはコントロールし得ない部分なんです。想像のなかだけなら好きにやっちゃって~~っていう気持ちでしかないです。「青砥みつ」はわたしから出てきた文章を読んでくれた人の数だけ存在する、というふうに今のところ自分の中で処理されています。

 

と、話がちょっと脱線しましたね。味気ない理由で書いていて面白いものを書こうという気もなくて、しかも「メモ」なのですが、幸いにも興味を持ってくださる方が本当に多くて、君の文章が好きだと言ってくださる方もいて、感謝してもしきれないです。ありがとう。おしまい。