ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

手遅れな飲み物

 

ココアを作る。キッチンに立って、ミルクパンに牛乳を少し入れてあたためて、ココアパウダーを少しずつ加えて練っていく。お砂糖を入れたところで、本を読んでいた君が後ろからわたしの腰に手を回し、首筋に顔をうずめる。

「本、読んでたんじゃないの?」

「うん」

わたしは振り返りもせずにスプーンで鍋の中身をかき混ぜる。牛乳を足して混ぜ続けて、ココアは温まっていくのに、わたしの背中はどうしても苦しくてつらくて、なぜなら、わたしはこれが、終わってしまうことを知っているから。ベッドの上にはディケンズ二都物語が開かれた面を下にして無造作に置かれている。

「マグ、取ってくれる?」

「うん」

君は本当に、全然、喋らない。本から吸い込まれたたくさんの言葉たちは君の頭のどこにしまわれているのか、わたしは知りたかった。君は返事をしたものの、わたしの後ろから動こうとしない。頭上の戸棚に手を伸ばした瞬間に、その手を掴まれ、わたしは反転する。力を抜くとその手は頰を撫で首へと降りていく。目を閉じてその手の温かさを感じ取ると、君の長くて黒い前髪がまぶたにかかった。チョコレートよりも甘い唇。君はいつも、そうだ。目を開ける。切れ長で黒目がちな目がこちらを見つめている。ココアが沸騰して、ボコボコと音を立てて、抗議しているような気がした。

「待って」

火を消してホッと息をつく。君はまだわたしをキッチンに押し付けたまま動かない。暗い光を湛えた目でわたしの胸を刺していく。どうしてそんな、助けを求めるような、目をするんだろう。

「僕のものだ」

笑いも泣きもしない君の顔がぼやけて見える。わたしはそれを否定するように、何度も、何度も、君の髪をくしゃくしゃにするようにして抱きしめる。君の苦しみを消すことが、わたしにはできない。わたしは君のものだ。君がそうしたい限り。わたしはもうアイするべき君を見失っていて、わたしの言葉は霧散して、君をこうやって抱きしめる手でさえ空を掴むようで、温かいのに違和感があって、大好きな君の匂いがどうしても見付からなくて、わたしが君の腕の中にいる理由は、君の執着とも呼べる所有欲をせめて満たしたいからで、冷たくなっていくこころをもう隠しきれなくなっていた。

「離して」

「いやだ」

涙が溢れそうな気がして目をギュッと瞑り、君の胸に甘えるように頬を寄せる。許してほしかった、君を見失ってしまったわたしのことを。もう離してほしいのに、こうやって君に触れられなくなることが惜しいと迷うわたしのことを。

「もう少し、本読んでてね」

「うん」

 

君はおとなしくわたしから離れて、ベッドに寝転び、背を向けて再び本を読み始めた。光を取り戻した映像のなかでマグカップを二つ出して、マシュマロの袋を破いてから気づいた。ココアはもう温度を失って、揺れもせず鍋のなかで沈黙していた。