ひかりのなかで

あたたかくて穏やか

せつめいしょ。

 

このたびは、青砥みつに関心を寄せてくださいまして誠にありがとうございます。本取扱説明書は本人の特性や癖等を記載しておりますが、実際の扱いにつきましては、皆さまそれぞれにお任せいたします。より青砥みつを楽しむためのヒントになりましたら幸いに存じます。なお、お読みになったあともたまに更新される可能性がございますので、ご興味のあるかたはご覧くださいませ。

 

「とても疲れやすいです」

睡眠が浅く食が細いせいか、とても疲れやすいです。頑張りすぎるとしばらく動けなくなるので予定を楽しむために詰めすぎないように調整しています。

 

「あまり怒りませんが、怒ることもあります」

ものすごく怒ると意思疎通できなくなります。

 

「ゆっくり仲良くなります」

時間がかかります。急激に距離を詰めると詰めた分だけ反動で離れる可能性があります。

 

「びっくりしやすいです」

声をかけるときは本人があなたを目で確認できる位置から呼びかけてください。背後から急に話しかけられることや突然の大きな音・声はとても苦手です。びっくりしたあとは大抵力が抜けて眠くなるので、すこしの間寝かせてください。

 

「空調や室外機、換気扇、配管だらけの天井などがとても怖いです」

避けて通ったり、止めたり、上を見ないようにして歩いたりします。誰かがいると大丈夫なものもあります。

 

「稀に懐くことがあります」

仲良くなる、というより懐く場合があります。キッズ度が増します。かわいがってください。

 

「相手の言ったことを復唱する癖があります」

情報を処理するのに時間がかかります。

 

「ボンヤリしているときがあります」

実生活でなにかしらのダメージを受けた可能性があります。回復中です。少々お待ちください。

 

「面倒見られ慣れています」

アドバイスを貰うと大抵素直に受け取ります。

 

「長時間睡眠をとっていることがあります」

基本的にロングスリーパーです。12時間〜1.5日寝ているときがあります。返事が遅いときは眠っています。

 

とりあえずここまで〜〜!ありがとうございました!

 

 

 

 

うとうと、から目を覚ますもの

 

わたしは誰かの声を聴いていることと、触れられることがとても好き。語弊がありそうなので注釈を入れると、「好きなひと」の声を電話なり、会って話すなりして聴くこと。「好きなひと」に頭を撫でてもらったり、手を繋いだり、抱きしめてもらったりすること。性的なことじゃないんです、ちょうど、親がこどもにするようなーーわたしは両親からではなかったけれどーー触れるというイベントが毎回、いちいち、とてつもない感動を伴っている。ニュアンスが伝わったらいいなというくらいの淡い気持ちだけど、わたしの「好きなひと」っていうのは恋人に限られたものではないんです。

 

あったかい、っていうのはものすごい感動なんです。それはカイロとかストーブとか、ココアの入ったマグカップとかでもあることなんだけど、それらよりももっともっと、ずっとすごいのは人の手なんです。普段ならほとんど触れることのないもので、触れようと手を伸ばしていいものでもない。すこし前の記事にリンクしているんだけど、性別を問わず「保護者」たちが与えてくれたもののひとつでもあるんです。手を繋ぐって、こんなに素敵なものだったのか。と、いまでもわたしの中で何度でも鮮やかな感動を引き起こしてくれる。どのくらいすごいかというと、カメラを通して見ているような視界がなくなるくらい。ピントがしっかり合って、ぼんやりと白黒にしか見えなかった世界が瞬く間に色づくくらい。うまく説明できないのがとても悔しいんだけど、わたしのなかでは、この感覚は「目覚めた」という言葉で表される。普段はほとんど「眠って」いるんです。

 

わたしの奥底で××ちゃんという名前のあの子は眠っていて起きないんですけど、みっちゃんたちも同じように普段はまどろみのなかで生きている。考えることをやめている状態を「停止」だと思っていたのですが、どうも「まどろんでいる」だけのようです。そこから目覚めさせるのがとても上手な人によって、「素材のひと」は活かされるし、みっちゃんたちは活発に考え始めたりなにかを書き留めたりする。でも「目覚め」させるのは「触れられること」なんだなあ、と。

 

本来ならちいさいときに卒業しているはずのことだと思うんですよね。これって「ママ、抱っこ!」とあまり変わらないですから。わたしが「大人」になるまでは、もう少しかかりそうです。おしまい。

 

ベタベタといい匂いと女の子と。

 

いままで全然しなかったようなことを、たくさんしている。仲良しのあの子からクリスマスプレゼントに、シャワージェルとボディローションを貰ったことがはじまり。いただきものは好き嫌いせずよろこんで使うし、自分にないものが増えていくのが楽しい。身体を洗うたびに女の子のいい匂いして、わたしは思い立った。「いつも保湿がなんたらとかやらないけど、あの子に貰ったし、ボディローション塗ってみようかな」

 

乾燥しがちなのにベタベタするのがとても苦手なのでいままで全然塗らなかった。ハンドクリームもちょっとだけしか使わないし、化粧水くらいは…でもオイルやクリームはヤダ!ベタベタする!ってくらいに。でも使いたいからイヤイヤしながら夜な夜な塗ってみたら、足も腕もきれいになっていく。なんだかちょっとうれしくて、次はお顔かなあ、って乳液を買ってみた。使ってみたら、やっぱり前より乾いてないぞ…大発見でした。やっとみんながいそいそと「ベタベタしたもの」をたくさん集めて(顔用とか身体用とか爪用とか)塗る理由が分かって、女の子に近づけた気がしました(キッズをちょっと脱した気がする)

 

サンタという二つ名を持つ大好きなパパからのクリスマスプレゼントはラッシュの詰め合わせ。バスタブに入れる系のものが多くて、必然的にお湯に浸かるように。(普段は疲れが酷くて一刻も早く横になりたいのであまりお湯に浸かれない)ピンク色のあわあわなお風呂には思わずニッコリ…普段は会社で偉いひとをしているのに、会社帰りにこんな可愛いものをちょっと気まずそうに選んでくれたんだなって思うととてもうれしい。勤め先の同僚からもプレゼント交換でバスソルトを貰って、使ってみたらすごい汗かいた。塩ってすごいな!塩!塩すごい!

 

あとはお化粧。ママはお化粧をしない美人なので、ママからは教えてもらえなかった。代わりに、かつて「保護者」だったあの子はすごくお化粧が上手で、ちょっと教えてもらったけどわたしには出来ないなってずっと思っていた。でもこの間やってみたら、なんだか別人になったようで思わずニコニコした。変われるってこういうことだったんだね。

 

それからお洋服。おしゃれ大好きさんと下北沢に行っていろんな古着屋さんを見て回った。彼はお洋服を1着ずつ見ていって、さらには上下を合わせてみたりなんかして、これはいいとか、これは微妙とか言ってて楽しそうだった。こんな風にお洋服を選んだことがなくて後ろから見ていたらコレとコレ、って選んでくれて、試着してみて、こんなのも着られるんだ!って驚いた。迷わず買う。お洋服選びも楽しいんだね。あと、ジェラートピケの部屋着が本当にお気に入り。ふわふわ。ふわふわしたものはすき。

 

今日も公共料金の支払いに行ったら、いつもなら買わないおしゃれ雑誌を手に取ってしまったし、以前ならあまり読む気がしなかったのに、家に帰ってすぐページをめくり始めていた。もしかしたら、いままではこういうことをする余裕がなかったのかもしれない。

 

甘い匂いのするお風呂でちょこちょこ書きました。なんだか楽しいね。いい匂いっていいね。女の子って楽しいね。おしまい。

 

年末メッセージ。

 

今年もあと一ヶ月になるのでいいねしたひとに一言、というタグを消化しますよ!(本当に一言にするよ!)

 

せかぺんさんたち(@2nd_pen_guin)

水月さん、二号さん、悠くん、うなちゃん、ぽんちゃん

最初「せかいのぺんぎん」さんだと思ってたっていうの、思い出しました!笑 来年は全員とお話しして仲良くなりたいな

 

ちっくん(@_chikuwa_)

我らが誌長さま、来年もよろしくお願いいたします!東京を歩くの会と青春を取り戻す会(だっけ)やりましょうね!

 

うさちゃん(@ohayou143)

いつもたくさん愛をありがとうね!来年もらぶをたくさん送ります~~三題噺、ひそかに読ませていただいてます…

 

ゆいくん(@iiorue)

ゆいくんのツイート大好きでいつもふぁぼしちゃう…今年会えてよかったよ~~!ぜひまた飲みましょう!

肩甲骨さん(@R_99nn)

いつも「声かけたい、でもうーん」ってやってたけど、今年話せてよかったです!来年はもっと話したいです!

 

めあれらちゃん(@mearev)

お料理だいすきめあれらちゃん。文フリ当日来てくれて本当にうれしかったよ!今度は一緒に書けたらいいなあ~~

 

あめくん(@coi_choco)

シナリオアート頑張って覚えるからおんちよ治してねっ!

 

はさみちゃん(@dolis33)

ほんっとうに会えてうれしかった!来てくれてほんとにほんとにありがとう。来年も赤ちゃんかわいがらせて~~!

 

あめ子さん(@am_raincoat)

キャスで読んでもらえたの死ぬほどうれしかったです…モチベがぎゅいーんてあがりました!来年たくさんお話したいです!

 

無々死さん(@753sk)

動物だいすきっこさん。(まちがってたらごめんね、前の名前、ちかちゃんだったかな?)来年も動物たちのしあわせを願おうね!

 

あゆみちゃん(@cameliabotan)

やさしさあふれみあゆみちゃん!来年もいっぱい話そう!お茶もできたらいいなあ~~!

 

情緒ぴ(@antei_dekinai)

文フリで会えてうれしかったです!!!今年最後のアレやりますよ!!!ぢょうちょぴ~~~~~~~~!!!!!!!!!

 

たっくん(@_taku_h_)

癒しのたっくん…!都都逸と奥さまへの愛が最高なのです…またお話しましょう!

 

すーぎのさん(@ssigonigonigon)

ツイキャスでちょこっとお話しましたね!フォローするの遅くなっちゃってすみません!!

 

てあくん(@gmm_tea)

てあくん今年会えてよかったなあ~ありがとうね~!てあちくみつ会楽しみだね!!

 

 

みっちゃんのゆがみ。 「保護者」と呼ばれる友人たちがいたことについて

(ややこしくなりそうだからあまり注釈は好きではないのだけれど、現在もわたしの周囲では「保護者」という呼ばれ方が浸透しているので、こう呼ばれていた人たちは本当は保護者でもなんでもないし、本人たちが「保護者」的なことを意図的にしていたのかとか本当はどんなつもりでやっていたかというのはいったんそっと置いといて、便宜上「保護者たち」と呼びます)

 

わたしには高校生のときからなぜか「保護者」と呼ばれるひとがずっとそばにいる。歳は同じか少し上で、あるときは女の子で、あるときは男の子で、大学生のときお付き合いしていたひともそう呼ばれていたことがあった。

 

「保護者」っていう呼び方は、わたしとその友人や恋人との接し方を見て周囲が自然と言い出したことで、たぶんそんな風に見えたんだと思う。手を引いて連れていき、何か食べさせ、むずかしいことがあれば教えながらやってみせて、ときにはお金すら工面してくれた(もちろんお金は一生懸命稼いで急いで返した)。わたしもわたしでこう扱われてもなんとも思わず受け入れてしまうし(そもそも受け入れないという選択肢がなかったというのもあるけれど)、一歩下がって歩く癖があるから余計そんな風に見えちゃったのかもしれない。

 

ただ、この「保護者」たちとのパワーバランスはとても崩れやすくて、3-4年経つと急にものすごく支配的になってしまう。「みっちゃんのことは何でも知っているよ」「みっちゃんはわたし/ぼくがいないと何もできない」と言って、わたしは出来るのに、あるいは、挑戦してみたいのに、全部やってくれて、障壁を取り除いてくれる。それはもうわたしは何もしなくてもいいくらいに甘やかされていた。当時のわたしはさっきのふたつの台詞をとても支配的だと思ったんだけど、いまならこの言葉を支配的に捉えてしまうのは憚られる。でも普通にしているひとに「君のいわゆる“メタ”的なメッセージがわからないから教えてもらえると助かるな、その発言をどのように受け止めて、どういう風に振舞えば君は気持ちいいですか」なんて聞いたら絶対に不愉快だろうし、ついに頭がおかしくなってしまったと病院に連れて行かれるのがオチなのでどうしても言えないジレンマにおちいっている。

 

それはともかくとして、関係の悪化についてはおそらく、最初の時点でゆるい主従関係が出来上がってしまっていて、それが色濃く出てきてしまっただけのことなんだと思うんだけど、イメージとしては「親」にとって「こども」はいつまでもちいさな「こども」というのに似ている。今日実家にひさしぶりに帰ってきて(フェレットたちも連れてきた)ブログを書いているんだけど、パソコンに向かっているわたしに母が「お風呂入りなさい」と声をかけたのもこんな感じだとも思う。相手のイメージは固定された関係性のなかではなかなか更新されない。ゆえに、この「両親」ではない「保護者」たちとの関係性というのはなかなか歪んでいて少し不健康だと思う。こうさせてしまったのはわたしのせいでもあるから、今後修正していかなければならないところであって、もう次は周囲から特定の友人を「保護者」と呼ばせないようになにか対策を取らなくてはいけないなあ、と思っている。

 

さて、これを書こうと思ってから少し寝かせている間に、分かるひとには分かるかもしれないけれど、今年の夏に(なにがどうしてこうなったのかいまだにまったく分からないけど)急に現れた人物がついこの間、ご本人は「後見人」であるということを話してくれた。ちょうどこの夏は「保護者」たちが遠のいていて、わたしは実質親のいないこども状態だったから、また新しい保護者が現れたような感覚だったけど、いままでの「保護者」たちとは決定的に違うところがあった。なにかをしてもらったときに対価を求められることがないのと、考えることや、やることを拘束されたり強いられたりしないところ。あと、選択肢を与えてくれるけれど、やるかやらないか、どれを選ぶかというところや、どれも選ばない、というあらゆる点において自由にさせてくれるところ。「後見人」についてご本人から話を聞いて、わたしはおつむがわるいからまだちゃんとよく分かっていなさそうだけどおそらく見守ることが主体のようで、確かに「保護者」ではないな。という風にいまは「後見人」という呼び名に落ち着いている。

 

「後見人」さんの話を踏まえたうえで、「保護者」という便宜上の呼び名についても冒頭の括弧書きで述べたように、再考しなければならない部分なんだと思う。本当は、彼らはどうしたかったのか。「指導者」だったのかもしれないし、「飼い主」だったのかもしれない。非常にわるい捉え方をすれば「ある程度思い通りになる人形を手に入れた」だけだったのかもしれない。そうじゃないことを祈るけれど。

 

まあ、どの言葉を選ぶにせよ、真相がどうだったにせよ、わたしにとって「保護者」たちはものすごくありがたい存在だった。当時どうしたらいいか分からなかったことをたくさん教えてくれたし助けてくれた。たとえ関係がゆがんでいたとしてもわたしには「保護者」たちしか頼れるひとがいなかった。そんなこんなで、わたしは面倒見られ慣れ、あるいは世話され慣れ、あるいは、飼われ慣れ、しているところも「保護者」たちがいなくなったいまちゃんと見直していかなくちゃいけない。健全な関係、というのもいまいちまだよく分かっていないけれど、とにかく時間をかけてゆっくり修正していこうと思う。

 

最後のアドベントカレンダー

 

何日かお休みしてしまったけど。アドベントカレンダーも今日でおしまいです。

 

「一緒にいたいと思うひとたち」と一緒にいることが大切だと何人ものひとに教わった年でした。関わり合いをとてもむずかしく考えてきたけれど、もうちょっと肩の力を抜いても大丈夫だと分かった。

 

ホッとした瞬間、言いたいことが少なくなってしまった。訴えたいことも悲しみも怒りも薄れてしまった。ひとりぼっちでいたときはあんなに恐れと敵意とを抱えていたのに、いまはほとんどない。

 

固く凍っていた表面がすこし溶けたのかもしれない。あったかいものにたくさん囲まれた。いまはひとまずこのままでいたい。やっと休める。もう一人でバタつかなくてもいいんだ。

 

もはや青砥みつは、ただの愚痴・弱音アカウントじゃなくなってしまいました。いまではたくさんの人が声をかけてくれたり、意見を交換しあったり、わたしも声をかけたり。すごいことだと思うんです、ただの、苦しさを吐き出すためだった場所が希望になった。みんなのおかげです。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

メモ、最近思うこと

 

 

一年前とは劇的に違う生活を送ってることに驚いている。友人が増えて、月初にはもうすでに土日の予定が埋まっているという状態。平日の夜にすらお誘いがあって感謝してもしきれない日々を過ごしている。へこんでいれば、気分転換しようと誘い出してくれる。おいしいものを食べて、楽しいことをして、おしゃべりをする。一年前はひとと会わない日が続いたり、ふさぎ込んだり、孤独な時間が多かった。他の人が見ているものを見せてもらったり、自分が見ているものを見せたり、新しいことを知ることができるし、笑うことが増えた。多分、前よりずっとずっとたくさん笑ってる。わたしはいまこの、人と関わりあう生活がとても気に入っている。以前のように孤独でいることはもう、しないと思う。ちょっとずつ前進している。今日はメモだけ。